検証・ウイグル族による無差別殺傷事件 なぜ敬虔なイスラム教徒は漢族を襲ったのか

日経ビジネスオンライン 2014.03.14

 2014年3月1日の夜9時過ぎに雲南省の省都“昆明市”の“昆明火車站(昆明鉄道駅)”で発生した、大型ナイフで武装した男女8人(男6人・女2人)の集団による、居合わせた人々に対する無差別殺傷事件は、死者25人、負傷者143人を出す大惨事となった。武装集団は緊急出動した警官隊によって4人が射殺され、1人が捕縛されたが、残る3人は現場から逃走したものの厳しい追跡に逃げ場を失い、3日までに全員が拘束された。中国政府“公安部”は容疑者自宅の捜索で、ウイグル分離主義過激組織「東トルキスタン・イスラム運動」(ETIM)の旗を発見したとして、事件をETIM所属のアブドレヒム・クルバンを首謀者とする集団による無差別テロと断定した。

旗の下、相次ぐ無差別テロ

 昨年10月28日に北京の天安門前で発生した車両の突入炎上事件(死者5人、負傷者38人)でも、公安部はほぼ完全に焼け落ちた車内から宗教的スローガンが書かれた旗を発見したとしてウイグル族の独立派組織による無差別テロと断定していた。天安門前事件に直面した一般大衆は、その憎悪の対象をテロリストに限定せず、ウイグル族全体に拡大していたから、今回の昆明鉄道駅事件でウイグル族に対する憎悪はより一層激しいものとなっている。しかし、中国政府はいずれの事件も報道管制を敷き、官製メディアである「新華社」の配信するニュース以外の報道を規制しているので、事件の真相は藪の中であり、2つの事件が本当にウイグル独立を求めるテロリストによるものか否かは分からないのが実態である。

 さて、海外に拠点を置く中国語ニュースサイト「“阿波羅新聞網(アポロニュースネット)”」は3月6日付で、「新疆ウイグル族一家7人が漢族を惨殺した真相」と題する亡命作家“伊利夏提(Ilshat)”の記事を掲載した。その概要は以下の通り。

【1】今年の年初、私は久しぶりにウイグル族の友人に会った。彼はカシュガル地区のカルギリク県(葉城県)の人で、カルギリク医院の技術者である。彼との会話の中で、2012年2月28日にカルギリク県で発生した殺人事件の死亡者は何人であったのかを尋ねたところ、彼は「正確な人数は知らないが、私の勤務する医院の救急車が運んだ遺体は16体で、漢族もいれば、ウイグル族もいた」と応じた。救急車でどこへ運んだのかを尋ねると、「漢族の墓場へ運んで埋めた」と答えたので、さらにウイグル族の襲撃者はどんな人たちなのかと聞くと、彼は「父子4人に3人の甥が加勢した」と答えた。これを聞いて興味を覚えた私は、事件の詳細を話してくれるよう依頼したところ、彼は少しためらった後に重い口を開いて事件の経過を語ってくれた。

惨劇を招いた妻のスカーフ

【2】事件は「幸福路(Happiness Road)襲撃事件」と呼ばれる。この事件を計画したのは、“阿布都克熱木・馬木提(Abdukerim Mamut)”<以下「アブドゥケリム」>というカルギリク県では非常に有名な商人で、4人の息子を持つ敬虔な“穆斯林(ムスリム=イスラム教徒)”であった。敬虔なムスリムとして、アブドゥケリムとその家族はイスラム教の教えを厳格に守って生活していた。このため、彼の妻は毎日ムスリムのスカーフをかぶっていたし、息子たちもイスラム教の教義に従い毎日決まった時間に礼拝を行っていた。アブドゥケリムは商売をやり、生活は相対的にゆとりがあったので、彼の妻は専業主婦として家事を行い、普段は滅多に外出しなかった。にもかかわらず、彼女が自宅でムスリムのスカーフをかぶっていることを知った人間がいた。

【3】ある日、“社区(コミュニティー)”の職員がアブドゥケリムを社区の事務所へ呼び付け、彼に“思想工作(思想教育)”を行った上で、彼の妻にスカーフを外させるよう説得を行った。しかし、アブドゥケリムはそれを気にも止めなかった。数日すると社区のトップである漢族の書記がアブドゥケリムを社区の事務所へ呼び付け、社区の仕事に協力し、妻のスカーフを外させるよう再度要求した。アブドゥケリムは我慢できずに、漢族の書記に対して「彼女は俺の妻で、しかも成人女性だ。彼女にはスカーフをかぶるか、かぶらないかを決める権利が有る。しかも、スカーフをかぶるのは俺の家の事であって、あんたとは何も関係ない」と述べると、憤然と席を立った。この態度に怒り心頭に発した漢族の書記は立ち去ろうとするアブドゥケリムに向かって、「お前は俺たちがお前の家まで行くはずがかないと思っているのか。お前がその生意気な態度を取るなら、お前の家に出向いて、お前の眼の前で女房からスカーフを剥ぎ取ってやる」と叫んだ。

【4】漢族の書記は社区の職員数名にアブドゥケリムの家へ行って、女房のスカーフを剥ぎ取って来るよう命じたので、それからは命じられた職員たちが入れ替わり立ち替わりしてアブドゥケリムの家にやって来ては騒ぎ立てるようになった。それでも、アブドゥケリム夫婦は適当に対応して、今まで通りの生活を続けていた。ところが、漢族の書記がたきつけるものだから、職員たちは一向に諦めず、スカーフを外せという要求を執拗に繰り返した。遂に堪忍袋の緒が切れたアブドゥケリムは、ある日2人の息子と共に、社区の職員たちを家から追い払い、二度と家の門をくぐったら脚の骨をへし折ってやると怒鳴り付けた。

【5】これが災いを招いた。2012年の2月15~16日頃、アブドゥケリム夫婦が在宅時に漢族の書記が2人の警官と社区の職員を引き連れて、総勢7~8人で彼らの家に押しかけて来た。アブドゥケリムの家の門を入るや否や、漢族の書記はアブドゥケリムをにらみつけて、「おい、また来たぞ。誰の脚の骨をへし折るのか俺に見せてみろ。お前の女房のスカーフを外すのか外さないのか。お前が外すのが一番良い。もし言う事を聞かないというのなら、今日は俺たちが必ずお前の女房のスカーフを剥ぎ取ってやる」と憎々しげに叫んだ。これを聞いたアブドゥケリムは怒りを爆発させて、「ここは俺の家だ、消えて失せろ、とっとと出て行け」と怒鳴り返した。アブドゥケリムは必死に社区の連中を追い返そうとしたが、多勢に無勢でたちまち打ちのめされて足蹴にされ、2人の警官に手錠をかけられて部屋の隅に押し込められた。その後は、漢族の書記の命令を受けた職員がアブドゥケリムの妻を取り押さえ、漢族の書記自らが妻の頭からスカーフを剥ぎ取った。これをアブドゥケリムはすさまじい怒りの形相で見つめていた。

復讐の場は“漢人市場”

【6】漢族の書記は警官にアブドゥケリムを社区まで連行するよう要請し、社区の職員を引き連れ、妻から剥ぎ取ったスカーフを戦利品として、意気揚々と社区の事務所へ引き上げた。自宅で事件が発生したことを知ったアブドゥケリムの息子たちは、社区の事務所に出向いて、父親に会わせるよう要求したが、警官によって阻止された。それから数時間が経過した頃、漢族の書記はアブドゥケリムを連れて事務所から出ると、外で待ち構えていた妻と息子たちの目の前で、アブドゥケリムを厳しく訓戒し、再度妻がスカーフをかぶったら、一家全員を捕まえると脅した。

【7】アブドゥケリムは憤怒と憎悪を抱え、屈辱にまみれて帰宅した。帰宅すると、アブドゥケリムは先ず妻と息子たちを慰めた後、礼拝と祈祷を始めた。それからは礼拝と祈祷の日々が続いたが、2月20日頃、アブドゥケリムは4人の息子と3人の甥を家に集め、彼らに復讐計画を告げて、刀などの武器の準備を始めた。数日間の観察を行った結果、社区の事務所や警察の派出所には常に見張りがいて近付き難いことが判明したので、彼らは警備が比較的手薄な幸福路の“漢人市場(漢族の市場)”を復讐の場所として選定した。それから後のことは皆さんが知っていることなので、敢えて重複する話はしない。

 以上だが、作者は「敢えて重複する話はしない」と書いているが、我々は2012年2月28日に発生した殺人事件を知らないので、調べてみると当時のニュースは事件を次のように報じていた。

無差別テロか、冒涜への復讐か

(1)2月28日午前、アブドゥケリムは組織の仲間を自宅に集め、チーム編成と分担を決め、刀や斧を配り、暴力行動の実施を決めた。午後6時頃、彼ら暴力集団はカルキリグ県の幸福路の歩行者天国に到着すると、刀や斧を持って一般の民衆に襲いかかり、手当たりしだい無差別に殺傷し、その場で13人が死亡、16人が負傷した(うち2人は応急手当てをしたが薬石効なく死亡した)。

(2)7人のテロリストは警官隊によってその場で射殺され、別の1人は銃撃で負傷した後に応急手当をしたが死亡、アブドゥケリムは逮捕された。テロリストの制圧に際し、“聯防隊(民間の自警団)”の隊員1人が死亡、警察官4人が負傷した。

(3)2012年3月26日、アブドゥケリムを被告とするテロ事件の一審裁判がカシュガル地区中級人民法院(裁判所)で行われ、テログループを組織・指揮した罪、故意殺人罪により、アブドゥケリムに死刑、政治権利終身剥奪の判決が下された。

 上述したように、漢族の視点に立てば、事件はウイグル族の暴力集団による一般民衆に対する無差別テロ行為となるが、ウイグル族の視点に立てば、敬虔なムスリムの教義に従った婦女のスカーフを、その夫でもない、異民族である漢族の男が妻の頭から剥ぎ取るという冒瀆行為は決して許されないことなのである。その報復をしようにも社区の事務所や警察の派出所では見張りがいるから、たとえ襲撃したとしても無駄死にすることは目に見えている。それなら警備が手薄な漢族の市場を襲撃して漢族に復讐しようという論理は、日常的に漢族から言われなき虐待や差別を受けているウイグル族にとって正当なものとなるのである。

 さて、すでに述べたように、2013年10月28日に発生した北京の天安門前の車両突入炎上事件も、公安部はほぼ完全に焼け落ちた車内から見つかったとされる宗教的スローガンが書かれた旗を根拠に、ウイグル族の独立派組織によるテロと断定した。ところが、その後に海外メディアが報じたところでは、テロ組織とは全く関係ない事件であったことが以下のような調査結果で明らかになったという。

いつか俺たちにもできることがある

【1】事件の首謀者とされた33歳の“烏斯曼・艾山(ウスマン・アイシャン)”<以下「ウスマン」>は、母親と妻の3人で1台の車に乗って、天安門前の歩道に突入し、歩行者をはねながら驀進した末に天安門前にかかる“金水橋”に激突して炎上爆発したもので、車内の3人は全員死亡した。

【2】ウスマンの故郷は、新疆ウイグル自治区のクズルス・キルギス自治州アクト県のYengi Aymag村。同村にあるPilalという名前の“清真寺(イスラム寺院=モスク)”は、拡張工事を行っていた2012年10月28日に、地元警察によって当該拡張部分が違法な宗教活動の場と認定されて破壊された。モスクの拡張工事は村人たちが共同出資で建設資金を集めて、ようやく建築にこぎ着けたものであった。ウスマンの家はかなりの大金を建設資金に出資しており、拡張工事部分が破壊されたことに対するウスマンの失望感は人一倍大きかった。

【3】同村の村長によれば、2012年10月28日に拡張工事部分が破壊された時、完全武装で乗り込んで来た警官隊を前にしてウスマンは憤る村人たちを抑えて、「今日はあいつらの勝ちで、俺たちの負け。あいつらには銃があるが、俺たちは何もない。でも、心配するな、いつか俺たちにもできることがある」と意味深長な言葉を述べていたという。

【4】そして、そのモスクの拡張工事部分が破壊された日から丁度1年後の2013年10月28日、ウスマンの一家3人はガソリンを大量に積み込んだ自動車で天安門前の金水橋に激突して果てたのだった。

 上記の調査結果が正しいものかどうかは何とも判断できない。しかし、一家3人全員が死亡したこと、さらにウスマンの妻は妊娠中であったらしいこと(妊婦のテロリストというのは通常は考えられない)、ほぼ完全に焼け落ちた車両の中から布製の旗が燃え残って見つかるはずがないこと、などを考えれば、この事件は公安部が言うような組織的なテロではなく、どこに訴えてもらちが明かない、漢族によるモスク破壊という理不尽な仕打ちに対して、死を賭して抗議を行ったものと考えるべきだろう。

融和への道、開けるか

 文頭に述べた3月1日に昆明鉄道駅で発生した無差別殺傷事件は、上述の2012年2月28日にカルギリク県幸福路の“漢人市場”で発生した無差別殺傷事件と類似しているように思われる。前者の犯行グループが本当にウイグル族であったのかどうかは分からないが、すでに述べた後者の事件に至る経緯を考えると、ウイグル族が犯行を行ったのであれば、そこにはやむにやまれぬ漢族に対する恨みがあったのだと考えるしかない。それはウイグル族の独立を求める独立派組織によるテロとは性質を異にするものだと思われる。

 漢族は新疆ウイグル自治区で産出する石油や天然ガスの利益をウイグル族に還元しないばかりか、ウイグル族の就職口を制限しているため、失業者があふれている。そうした経済的な抑圧に加えて、学校におけるウイグル語の使用規制、イスラム教の活動規制、男子の長いひげや女性のスカーフの禁止など、ウイグル族の民族的・文化的なアイデンティティーを否定し、漢族主導の中国共産党および中国政府はウイグル族の民族としての尊厳を踏みにじっているのが実態である。

 ウイグル族によるものと思われる事件が発生する度に、その犯行をウイグル族の独立派組織によるものと断定する頑迷な姿勢を改め、真の原因を探求して善処しない限り、漢族とウイグル族との間に横たわる相互不信の溝は埋まらないだろう。その解決のためには、習近平政権がウイグル族に対する強硬政策を転換し、漢族とウイグル族による真の融和を図ることが必要である。さもなければ、ウイグル族あるいはウイグル族をかたる人々による類似の重大事件が今後も発生しないという保証はないと言える。

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