ウイグル絶望収容所の収監者数は89万人以上

ウイグル絶望収容所の収監者数は89万人以上

Biglobe, 13.03.2018

<リークされた詳細なデータによれば、新疆ウイグル自治区のウイグル人密集地域で、ウイグル人口の2〜4割が中国共産党の「再教育」キャンプに強制収容されている>

トルコ・イスタンブル在住の亡命ウイグル人組織によって運営されているインターネットテレビ『イステクラルTV』は2月14日、「信頼できる現地の公安筋から入手した」として、新疆ウイグル自治区の強制収容施設に収監されているウイグル人やカザフ人の数を公表した。

この表は県単位で収容者数が記されており、ウルムチ市、ホタン市、イーニン(グルジャ)市など、市単位での数値が欠けている。中国の行政単位としては県が市より下となる。おそらく、大きな行政単位の中心市レベルと末端の県レベルでは管轄部署が異なり、このデータをリークした公安警察は、県レベルのデータ管理者だったのだろう。

漏洩した拘束者数がいつの段階のものかはわからないが、収容が大々的に始まった17年に作成されたと考えて間違いない。データは1212万人いるウイグル人口の71%をカバーしているが、県レベル以外のデータが明らかになれば、収監者数はおそらくさらに増える。

89万人を超す拘束者数は新疆全域のデータではないとはいえ、この数値からは多くを読み解くことができる。色で囲ったアクス地区、カシュガル地区、ホタン地区はいずれも住民に占めるウイグル人の割合が極めて高い土地で、データ上で明らかになった収監者数の約8割は、こうしたウイグル人密集地域から連れ去られている(アクス地区合計12万6306人、カシュガル地区合計24万8747人、ホタン地区合計31万5755人、ウイグル人密集地域合計69万808人)。

著名なウイグル人民族主義者の出身地も拘束率が高い。例えば現在の世界ウイグル会議総裁であるドルクン・エイサの出身地ケリピン県は2割以上、1930年代に東トルキスタンイスラーム共和国を南新疆に興そうとしたムハンマド・イミン・ボグラの一族が住んでいたホタン県では、ウイグル人やカザフ人の4割近くが拘束されている。

ウイグル人やカザフ人らを収監し、愛国主義教育と漢語使用を強要し始めたのは、元チベット自治区党書記だった陳全国(チェン・チュエングオ)が、16年8月に新疆ウイグル自治区党書記になってからだ。16年末に試験的に収容が始まり、17年から大々的に行なわれるようになった。陳全国がチベットにいた頃、チベットでは約100人を優に超えるチベット人が党のチベット政策への抗議を込めて焼身自殺したことからも分かるように、陳は少数民族弾圧の手腕を党に買われて新疆党書記に「出世」した。

留守児童の死と、収容所で死んだ子ども

収容所では携帯電話を充電することさえできないが、ごくまれに内部の声も漏れ伝わってくる。強制収容所問題を報じ続けているアメリカの短波ラジオ放送「ラジオ・フリー・アジア(RFA)」の17年8月22日付ウイグル語放送によると、同局記者が「収容者から、直接話を聞きたい」と収容所員宛に掛けた電話に、偶然出たアブドゥジェリル・アブドゥケリム(ウイグル人)は、「グルジャ県内の強制収容所に収監された理由は、息子をトルコ留学させたからだ」とインタビューに答えている。つまり収監の正当な理由など無いのだ。文化大革命の時代と同様、「反革命」「反愛国」的と見なされれば、誰でも収監される。

ウイグル人強制収容政策が始まって1年を過ぎた最近、国外在住ウイグル人の間で最も懸念されているのが、「留守児童」の問題だ。親族が収容所送りとなり幼児だけ自宅に取り残されているケースが多発し、残された幼子たちは孤児収容所送りとなることが多いものの、自宅に残された幼児も多数いて、そうした子どもが事故死したとの事例も頻繁に聞こえてくるようになった。さらに「非人道の極み」として聞こえてくるのが、収監された子どもの死亡ニュースである。

「留守児童」問題については、ホタンのグマ県コクテレック村役場が作ったチラシ(写真)が、その深刻な事態が露呈させている。RFAの18年3月5日の報道によると、コクテレック村のエスマ・アフメット(8歳)は、石炭ストーブの上にのせていた鍋が倒れたことが原因で、全身60%の大やけどを負った。父母と兄は再教育のため不在で、エスマは自分で食事を作ろうとして事故に遭った。村役場はこの状況に心を痛め、治療には30万元が必要だ、とのビラを配布した。

コクテレック村役場が作ったチラシ

18年2月12日の報道では、ウルムチ在住だったカリビネル・トフティは「子にイスラム的な名前をつけているウイグル人は、改名させなくてはならない」との政府方針に従わなかったことを理由に、夫婦共に収容所送りとなった。彼らの3人の子ども達が全て消息不明だと、国外の親族が探している。

17年10月13日の報道で、南新疆の孤児院の職員は場所と施設名を未公開とする代わりに、比較的詳細を語っている。「両親が再教育施設収監のために孤児となった生後6ヶ月から12歳までのウイグル人の子ども達を預かっているが、突如として増えた子ども達であふれかえり、仔牛の群れを小屋に入れて飼育しているような状態だ」「福祉が追いつかず、週に一度だけ肉を使った食事を出せ、それ以外は基本的におかゆだけだ」「施設は厳重に制限され、外部者が施設内に入れない」

17年8月9日の記事によると、イリ(グルジャ)県法政局職員がインタビューに答えて、「収容者最年少は15歳」と証言し、学童期の子どもまでが収容所に入れられていることが判明している。

18年3月9日報道によると、カシュガル地区ユプルガ県で、先週収容所に「再教育」収監中であった17歳の少年が死亡し、遺体となって家族に返される事件が起こった。少年は同県イェキシェンベバザール村第12集落のナマン・カリの息子、ヤクプジァンで、家族に死因の説明はなく、「直ちに埋葬するように」との命令だけ受けた。家族は死因も分からず、警察官が立ち会って遺体を埋葬したという。

「親戚が収容所送りとなり、小学生の子ども達だけが取り残されている」との証言は、在日ウイグル人の中からも伝わっている。ある在日ウイグル人は「学校の先生だった私の父の姉夫婦が収容所に送られ、小学生の子どもが残され、親戚が面倒を見ていると信じている」という。

親族との連絡も途絶えており、子どものために帰国すれば、本人が拘束される恐れもあり、日本に連れてくることさえできない。「長期に親がいない歳月は、幼子にとっては死に別れたと同じぐらいの精神的ダメージだ」と嘆く。身内を「人質」として取り上げられているウイグル人たちは、顔を出して話をするのを恐れる。それでも「黙ってはいられない」と私に語りかけてくれる。

「シリアの戦場でさえ、シリア人たちはネットを通じて家族は連絡をしあっているのに」と嘆くウイグル人に、私は掛ける言葉もない。