「7.5ウルムチ大虐殺事件」直後にカシュガルで何が起きたのか

RFA 2009年9月1日

「7.5ウルムチ大虐殺事件」が発生した翌日に南部のカシュガルなどでもデモが起きたことが伝えられましたが、中国当局の厳しい情報規制、取材規制により外国の記者団が現地を取材することは許されなかった。RFAでは初めて、当時現場のカシュガルにいた、国外に住むウイグル人女性に話を聞くことができました。この女性は6月の下旬から親戚訪問でカシュガルに滞在していて、カシュガルのデモにも参加した一人です。

記者:カシュガルで見たことなどを聞かせてもらいますか。どうしてウイグルに行ったのですか。

ウイグル人女性:親戚訪問で行っていました。私が話すのは、ウルムチ事件が起きた7月5日から今まで私自身が自ら参加して分かったことや、親戚などから聞いたことなどです。とても怖かった。とても見ていられない光景だった。

記者:あなたは当時ウルムチにいたのですか。

ウイグル人女性:いいえ、カシュガルにいました。

記者:6月26日に広東省でウイグル人労働者を襲った集団暴力事件について、カシュガルの一般市民の理解はどうだったか。みんながその詳しい事情を知っていましたか。

ウイグル人女性:ごく一部のウイグル人がある程度事情を知っていました。多くのウイグル人は一般の噂話レベルで聞いていただけだった。しかも、政府が広東省に残ったウイグル人たちをカシュガルなど現地の家族に電話をさせ、「たいしたことはない、ちょっとした事件だ、私たちはみんな平気だ」と言わせたのです。それを聞いた人々は事件を軽く見ていたようだ。しかし、コンピュータなどで自らその生々しい映像などを確認した人たちは「そこまで追いやられて、また黙るもんか」と大変に怒っていた。

記者:カシュガルで事件が起きた際にカシュガルにいたと言いましたが、どんなことを見ましたか。

ウイグル人女性:ウルムチで事件が起きたのを聞いた翌日に、朝早くコンピュータを確認した。開いてみたら「自分を一人のウイグル人だと思う人は午後三時にエイティガルジャーミの前に集まってください、デモがある」と書いてあったので、私も行くことにした。

私は午後三時より少し遅れて現場付近に着いた。その時は、現場付近が大量の武装軍隊で溢れていた。私がデモ隊のところに行こうとしたが、軍隊がいかせてくれなかった。その周辺にいた人々に聞いたら「あなたは遅れて来たから知らないかもしれない。デモは時間通りに約500人で始まったが、あっという間に軍がやってきて銃を彼らに向けて進行した。そして、デモ隊の先頭にいた数人を拘束し、手に何も待っていないデモ隊に暴力を振った。そこで、みんなが逃げだした」と話してくれた。

暫くすると、私たちがいた場所の向かい側の通りから「釈放しろ」と叫んだ若い男女たちの声が聞こえてきた。周りのみんながそこに目を移した。その多くが大体16~18歳前後の学生とみられる男女だった。彼らが叫んでいたのは、先ほど数人の若いデモ隊が拘束されたからだった。軍に対し「彼らを釈放しろ」と叫んでいた。

叫んだ男女は大体100人ほどで、「拘束された仲間を釈放しろ」と叫んだだけに、大量の軍隊が彼らを囲もうとした。この時みんなが逃げだしたが、誰か一人の女性が「逃げないでくれ、逃げればもっと大変なことになる」と必死で叫んでいた。私も逃げましたが、頭部などが血だらけになって歩くことすらできない一人の若いウイグル人男性を軍隊が引っ張っていったのを目撃しました。

記者:そのウイグル人男性は何歳ぐらいの人でしたか。

ウイグル人女性:18歳くらいか、それ以下だった。その時は、彼が既に死んでいたのか、それに近い感じだった。周りに見守っていたみんながどうすればいいかわからず、気を失ったかのように立っていました。6月26日の広東省での事件に対する釈明を求めただけで、私たちが目にしたのはこういう光景だった。

記者:その後について何か分かりますか。

ウイグル人女性:三時半ぐらいからはもうエイティガルジャーミの前など市中心部には一般人の姿はなく、至る所に軍隊が溢れていた。翌日聞いた話によると、市内の監視カメラに映ってしまった映像をもとに、前日デモ現場から逃げだした若い男女のほとんどが拘束されたそうだ。

子供が拘束された親たちが警察に訴えても、「今はまだ逃走中の人がいる。全員を捕まってからどうするかを決める」と追い返しただけで、彼らは未だに拘束されたままだ。

記者:あなたは当時現場にいた一人として、カシュガルでの今回の事件でどのくらいのウイグル人が拘束されたと思いますか。

ウイグル人女性:その後の無差別家宅捜査などを考えると、数千人は拘束されたと思います。

記者:7月6日以降、またどのようなことを見ましたか。あるいは知りましたか。

ウイグル人女性:その後は町中に厳戒態勢が敷かれ、主要道路には50メートルごとに20人ずつの軍隊が置かれていた。カシュガルでデモが起きた現場周辺の商店街、モスクまでも三週間にわたって閉鎖されていた。何百台もの軍隊の車が連日のように市内を走り回っている。今でもそうだと思う。つまり、どこにも軍や武装警察がいるのだ。

記者:現地に滞在している間に、あなた自身が、周りの人々から「子供が拘束された」などの話を聞いたことはありますか。

ウイグル人女性:あります。ひとつだけ具体例だけを言いますと、私のある親戚の息子が当時ウルムチにいたが、ウルムチ事件当日以来行方不明になっていて、家族が今でもその行方を追っている。あちらこちらから聞こえてくる情報によると、そのように突然行方が分からなくなっている若者が非常に多いようだ。生きているかどうかもわからないし、遺体もないのだ。

子供たちの行方を捜して警察に行ったところ、疑われて拘束された親たちも多くいると聞きました。つまり、「暴徒の親」とのレッテルが貼られ拘束されてしまったというのです。拘束された13歳くらいの男の子が後になって釈放されたが、二週間後に急に死亡したという事例も聞きました。

記者:釈放された若者たちの中には、牢屋から頭がおかしくなった様子で出てきた人も多くいるとの情報もありますが、あなたは現地でそのような話を聞きましたか。

ウイグル人女性:聞きました。拘束された時に元気だったのに、釈放された時は頭がおかしくなった様子で出てきたり、釈放から数週間もしないうちに急死したりするケースが多いと聞きました。住民の間で流れている情報によると、拘束中に毒性の注射や薬が使用されたそうです。親に死体で引き渡したら問題になるから、一ヶ月ほどで効く毒性の注射や薬を使用してから釈放しているというのです。

また、当局に殺された若者たちの死体に対する処理の仕方も酷いのです。ひとつだけ例を挙げよう。8月のはじめに、「武装警察に殺されたウイグル人の死体が湖に捨てられたそうです」という情報が住民の間に広がった。その直後にカシュガルのテレビで「17人のウイグル人が泳ぎに行った先で事故死した。遺族が死体を確認してほしい」という ニュースが報道された。

記者:あなたは外国籍のウイグル人として、現地に行った時何かほかに困ったことなどはありましたか。

ウイグル人女性:私は直接これという被害など受けていなくても、一人のウイグル人としてあまりに酷い扱いを受けている同胞たちをこの目で見たときに、非常に悲しかった。絶対許せない。現地には正義というものは全くないのだ。

記者:国際社会では事件以来、多くの国々のメディアが連日のようにこの事件を報道していますが、現地の人々はそのことを知っていましたか。

ウイグル人女性:ほとんどの人は知らないのです。アンテナを設置したりして外国のラジオを聞こうとすると、発見されたらその場で逮捕されるし、監視が物凄く厳しいのです。

なお、カシュガル中心部のウイグル文化が残る街並みは、住民の意思を無視して破壊されている現実も見てきました 。

記者:街並みは破壊されていると言いましたが、抗議した人たちもいましたか。

ウイグル人女性:抗議できると思いますか。「家を壊すな」といっただけで逮捕されるケースが多いというのです。そういう話は何回も聞いたよ。一見大変静かな町ですが、その静かさが物語っているような感じがする。ウイグルの人々の目は大変悲しいのです。彼らの声を聞いてくれるところは何処にもないのです。

記者:中国当局はウイグル人の生活は大変良くなったと言っているわけですが、あなたは見ていてどう思いましたか。

ウイグル人女性:衣食だけで「よくなった」と言えるでしょうか。現地のウイグル人は人間のように生きることができていないのです。自由が全くないのです。経済面である程度豊かになった人もいたが、それも数えられるほどだった。

記者:他に何か言いたいことがありますか。

ウイグル人女性:私が話したことは、すべて現地で自分が直接見たり聞いたりした事実なのです。状況はあまりにも酷い。カシュガルなどでは、近くの親戚の家に行くことも容易ではない。公共バスなどでは、一般の若いウイグル人男性が理由もなく疑われ拘束されていくことだって珍しくない。

記者:国際電話で連絡はとれていますか。

ウイグル人女性:できていません。建国60周年のキャンペーン期間が終われば開通されると聞いたが、まだわからない。

尚、ウイグルでは、所謂「指名手配」にされた若者たちの写真が町の至る所に貼られているのです。あまりにも多くの親たちが子供の行方を捜している中、政府は自ら無差別発砲などで殺した責任を逃れるために、既に死んでいた人の写真まで貼っているのではないかとの見方が住民の間で根強くあるのです。

http://www.rfa.org/uyghur/xewerler/tepsili_xewer/qeshqer-weqesi-6-iyul-09012009201508.html
http://www.rfa.org/uyghur/xewerler/tepsili_xewer/qeshqer-weqesi-6-iyul-1-09012009201508.html