中国の暴力警察のウイグルにおける暴走劇、55歳の無実のウイグル人女性を銃で撃つ

中国の暴力警察のウイグルにおける暴走劇、55歳の無実のウイグル人女性を銃で撃つ

 RFA 2012.05.14 | 翻訳・掲載:2012.05.24

7.5ウルムチ大虐殺事件後に警察隊が行った無差別拘束・家宅捜査運動で起きた悲惨な流血事件の一つが、ウイグル自治区文化庁が入っているビルの真正面に位置する64号住宅ビルで起きた。

RFAが入手した情報によると、2009年7月13日の深夜に、同住宅ビルに突入してきた武装警察隊が同ビルに入居していた18世帯を家宅捜査し20人以上を拘束した。その際に、警察隊が55歳のウイグル人母親ラビグリ・ヤスンさんとウライムジャンというウイグル人男性を銃で撃って負傷させた。銃傷のまま4カ月近く拘束されたラビグリ・ヤスンさんは、警察当局によってある程度の治療を受けたものの、未だに体調が回復せずにいる。

当時警察隊に撃たれたラビグリ・ヤスンさんがRFAに明らかにした情報によると、当日の深夜1時過ぎに、大勢の警察がビルの玄関を取り壊し、非常に恐ろしい騒ぎと共にビルに突入してきた。その頃、ウルムチの至るところで棒や刃物などで武装した中国人市民らウイグル人を襲う事件が連日起きていたため、深夜にビル内で起きた中国語の騒ぎを聞いたとたん、入居していた住民らが恐怖感に震えた。

ビルの一階で、且つ玄関の真正面にある部屋に入居していたラビグリ・ヤスンさんは、怖くて窓から飛び降りて、裏側にあるビルの敷地内に止めてあったゴミを運ぶ手車の下に身を隠した。間もなく部屋に突入してきた警察隊が、裏側の敷地内で隠れていたラビグリ・ヤスンさんに対して、5メートルほどの距離から銃を続けて5発撃った。そのうち一発がラビグリ・ヤスンさんの足に当たった。ラビグリ・ヤスンさんが血だらけになり意識を失ってから、警察隊が彼女を米泉(ウルムチ市内の地名)にある刑務所付属病院へ運んだ。

ラビグリ・ヤスンさんによると、当日警察隊が同ビルから、彼女の二人の息子を含む20人以上のウイグル人を拘束した。ラビグリ・ヤスンは、病院に運ばれてから、ある程度の治療を受けながら、24時間監視下に置かれ、尋問を受けた。ラビグリ・ヤスンさんは、刑務所付属の同病院で4カ月近く拘束された後に釈放された。彼女の二人の息子のうち、一人は3カ月拘束された後に釈放された。もう一人の息子に関しては、ラビグリ・ヤスンさん自身が釈放された後に、彼女が自ら警察官らに賄賂を使って釈放させたという。

ラビグリ・ヤスンさんによると、釈放後も体調が回復することはなかった。この事件に遭う前は元気に仕事をしていた彼女は、今では松葉杖に頼ってやっと歩ける状態になってしまっており、体力的に仕事する能力を完全に失っている。ラビグリ・ヤスンさんによると、何の罪もない彼女を銃傷させた警察側が、彼女を誤って撃ったことについて全く謝罪することはなかった。更には、警察側が彼女の治療費の一部を負担しただけで、それ以外の賠償金も一切出していないという。

http://www.rfa.org/uyghur/xewerler/tepsili_xewer/rebiygul-oq-05152012145936.html/story_main?encoding=latin

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