カンボジアの強制送還から2年:強制送還されたウイグル人たちの強いられた失踪に深い懸念

WUC 2011.12.19 | 翻訳・掲載:2011.12.26
https://www.uyghurcongress.org/en/?p=12799

12月19日で20人の亡命希望のウイグル人(1人の女性と2人の児童を含む)がカンボジアから中国に不法かつ強制的に送還されてから二周年となるが、中国当局はいまだにかれらの消息や法的地位について情報を開示していない。中国政府は送還に際し、国際社会にこれらのウイグル人を透明性をもって扱うと約束した。世界ウイグル会議(WUC)はかれらの健康について深い懸念を持つとともに他のウイグル人難民や亡命希望者がアジアの他の国々から中国に送還されてから強制的に失踪させられている諸事件について焦慮するものである。

合衆国においての9.11テロ事件の後に推進された「対テロ戦争」の口実の下に中国政府はすべての形の平和的にに行われる政治的、社会的、文化的な異論派ウイグル人への弾圧を徹底的に強めてきた。過去十年東トルキスタンにおける抑圧や差別から逃れてきたウイグル人は中国への送還への非常な危険にさらされており、送還されれば強いられた失踪、恣意的な拘束、拷問、そして処刑に直面することが証明されている。この十年で少なくとも170人のウイグル人難民、かれらの多くは国連高等難民弁務官事務所から難民の地位を受けていたのであるが、中国と経済的、外交的紐帯の強い国々から強制的に送還されている。

上記カンボジアでの事件と別に、カザフスタンは少なくとも9.11の後、2011年5月のエルシデン・イスラエルを含め20人のウイグル人を追放している。同じ月、タジキスタンはトルコ国籍を持つ3人のウイグル人を中国に追放している。キルギス(クルグスタン)は2001年以来50人前後のウイグル人を中国に引き渡し、そしてウズベキスタンは他に2人を、そのなかにはフセイン・ジェリルも含まれるが彼は送還後終身刑を宣告された。ミャンマーは2010年の1月に17人のウイグル人を強制送還した。またラオスは2010年3月に7人のウイグル人を送り返し、ネパール当局は少なくとも2001年以来9人のウイグル人を引き渡している。

9.11以来、パキスタンは28人のウイグル人を中国に送還し続けている、最も昨今の2011年8月には1人の女性と2人の児童を含む5人のウイグル人が中国に送り返された。
ウイグル人難民ヌル・ムヘメッドは2011年6月6日タイ、バンコックで中国官員に引き渡された。そのわずか2週間後に、マレーシアは11人のウイグル人を中国に引き渡した。

これらの人々は中国というある種のブラックホールのなかに強制送還された後に「失踪」してしまっている。

世界ウイグル会議総裁で元「良心の囚人」であり、複数回のノーベル平和賞候補であったラビア・カーディルさんは言明している。
「これら個々のウイグル人の失踪は中国における法の支配が存在していないことを象徴しています。」

中国政府はそれらウイグル人が犯罪や暴力的行為を犯したと主張し続けているが、そのような主張を実証するいかなる証拠も提出し得ていない。中国政府は日常的に犯罪と暴力とかかわったウイグル人に対しては確証のない訴追を行い、平和的である政治的異論派を決まって、平和裏の宗教的そして文化的な行動に対してと同様に、テロリズム、宗教的極端主義、そして分離主義と同等視するのである。

ウイグル人難民を中国に引き渡した国々は経済的、外交的利益を与えられている、それらの送還は国際的人権条約へのはなはなしい侵害である事実が無視されているのである。特に国連拷問禁止条約、1951年難民条約とその1967年協定、同様に国際的な慣行法にもである。

世界ウイグル会議はまた、アジア諸国政府に国際的な人権義務よりも中国へのコミットメントを優先させることを終わらせるように要請する、とりわけ亡命の拒否と亡命希望者の強制的送還に関してである。

カンボジアの事件の背景情報

2009年7月中国の影響と圧力の下にカンボジア政府は20人のウイグル人を国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)がかれらの難民地位について決定する前に強制送還した。東トルキスタンの区都ウルムチでの事件の後、それらの人々は中国から逃れてきた。
なぜならかれらは中国公安がウルムチでの7月のウイグル人の平和的な抗議活動のあいだにウイグル人デモ参加者に対しての逮捕と残酷で致死的武力が用いられたことを目撃したからである。

かれらの送還の後、中国はカンボジアにその非難されるべき行動に対して、送還の二日後にカンボジアに対する120億米ドルと報道されている供与を署名することにより見返りとした。カンボジアはそれらのウイグル人を中国に送還したが、中国において彼らが1951年の国連の難民地位に関する協約と1967年の難民協約に関する協定に掲げられている根拠で拷問され迫害されるであろうことを十分承知していた、カンボジアはそれらの協定の一当事国である。

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