民族主義は中国の「内臓の病」だ 防衛大学校教授・村井友秀

産経新聞 2014.04.11

 現代の世界を動かす主要な力は経済と民族主義である。宗教的対立の背景にも、経済的・民族的対立がある場合が多い。民族主義とは、民族の力を極大化しようとする運動であり、多くの場合、国家という最高の権力を持とうとする一民族一国家運動である。クリミア問題も南北朝鮮の対立も中台対立も、一民族一国家をめぐる民族の争いである。

 ≪民族とは理屈ではなく感情≫

 経済は計算できる数字の問題であり、感情が入り込む余地は少ない。しかし、民族主義は感情の問題であり、独立や主権といった計算できない無限大の価値を求める運動である。「独立を、然(しか)らずんば死を」というスローガンを掲げて民族独立のために命を捧(ささ)げた人物はどの国でも英雄である。

 では民族とは何か。人間を分類する方法の一つである。人間は人種、国民、民族によって分類される。人種とは、黒人と白人を見れば区別できるように、人間を外観で分ける形質人類学上の分類であり、遺伝子によって決まる。人種は生まれてから死ぬまで変わらない。従って、個人の努力ではどうにもならない人種を理由に個人を差別することは理不尽である。

 他方、国民は人間を国籍により分類したものであり、外見では分からない。日本を含む多くの国では外国人が国籍を取得することを認めている。生まれたときと死ぬときで違う国民であることはあり得る。個人は希望する国民になることができるのである。国民になるということは、その国と運命を共にし、自分の意志で選んだ国の国民としての義務を果たすということである。現代の世界では、国家は国民の運命共同体である。

 人種は見れば分かる。国籍は旅券を見れば分かる。しかし、民族は外見でも旅券でも分からないことがある。ユダヤ民族の国イスラエルの軍隊には、さまざまな国籍のユダヤ人が参加している。民族とは、「運命共同体」であると信じる人間の集団であり、「民族はその構成員が激情的に満場一致的にそうであると信じるがゆえに民族である」といわれる。民族の本質は感情であり理屈ではない。

 ≪中台対立も民族めぐる争い≫

 民族の定義は曖昧であるが、人類の歴史を通じて人間は民族(運命共同体)を単位として戦ってきた。現代でも、旧ユーゴスラビア紛争は同一人種が複数の民族に分かれ、独立国家建設を目指して戦った戦争である。民族が独立国家を建設する権利(民族自決)は国連憲章第1条でも国際人権規約第1条でも認められている。

 ただし、世界には現在、数千の民族が存在し国連加盟国数が193であることを考慮すると、全民族が独立国家を持つのは非現実的である。国際法にも「民族自決は、国内の異民族に対して差別なく対応している国家からの分離独立を奨励するものではない」(友好関係原則宣言)とうたわれている。

 中台対立の本質も、中国人と台湾人は共通の運命の下にある同じ民族だと主張する中国共産党と、台湾人は大陸の中国人とは運命が異なる違う民族だと唱える台湾独立勢力の争いにある。中国人と台湾人は同一人種であるという共産党の主張は正しい。しかし、台湾人が人種は同じでも運命が違うと感情的に信じていれば中国人とは異なる民族ということになる。

 中国人と台湾人が運命を共有する同じ民族なら、台湾独立運動は国家統一を破壊する反乱であり、正統性ある中央政府(中共)に対する地方(台湾)の反乱ということになる。領土内のヒトとモノに対して排他的に統治する権限を持つ中央政府が、国家の主権を脅かす地方の反乱を、武力を適切に行使して鎮圧しても、国際法上は違法行為にはならない。

 ≪少数民族の独立で国滅ぶ≫

 他方、台湾で実施された最近の世論調査によれば、自分は中国人ではなく台湾人だと考える人が過半数に達した。独立か統一かの二者択一の世論調査では7割の人が独立を選択した。将来、台湾で民族主義が高揚し民族自決を主張する国家が誕生すれば、台湾に対する武力行使は主権国家に対する侵略と見なされる可能性がある。

 中国では「五族(チベット、ウイグル、モンゴル、台湾、朝鮮)が中国を騒がす」(五族鬧中国)といわれている。チベットやウイグルの独立勢力は自分たちの運命は中国人とは違うと考えている。

 外国と国境を接し、少数民族人口が数百万人を超す少数民族地域は、面積では全中国の約6割を占める。少数民族が分離独立すれば多民族国家たる中華人民共和国は崩壊する。モンゴル王朝の元と満州王朝の清を除き、中国史上最大の漢民族国家を建設したことを誇り、「中華民族の偉大な復興」を「中国の夢」とする中国共産党にとり、国家を分裂させる民族主義は最も危険な不安定要因である。

 日中戦争時、中華民国総統であった蒋介石は「日本軍の侵略は皮膚の病だが、共産主義は内臓の病だ」と言った。今の中国共産党にとり、日中対立は「皮膚の病」かもしれないが、国内の民族主義は深刻な「内臓の病」である。(むらい ともひで)

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140411/chn14041103230002-n1.htm