警察に銃で撃たれた無実のウイグル人女性が刑務所付属病院で目の当たりにした悲劇

RFA 2012.07.20 | 翻訳・掲載:2012.07.24

2009年7月5日に起きたウルムチ事件当日、中国の警察・軍隊がウイグル人デモ隊に向けて強行した実弾発砲が何時間続き、どれだけのウイグル人が死亡したのかは未だに隠されたままである。同じく、ウルムチ事件当日以降に警察・軍隊が行った無差別家宅捜査・拘束運動でどれだけのウイグル人が拘束され、負傷し、更には死亡したのかも未だに隠されたままである。しかし、時間の経過につれて、隠されてきたこれらの謎を暴く一部の証拠が明らかにされている。これらの証拠は氷山の一角に過ぎないものの、当時何が起きたのかについてのこれまでの推理を裏付けられる貴重なものであることは間違いない。

RFAでは最近、ウルムチ事件直後の7月13日に行われた無差別家宅捜査運動で警察隊に撃たれた55歳の無実のウイグル人女性ラビグリ・ヤスンさんの悲惨な体験を入手し、報道していた。ラビグリさんは、その後の取材で、自分が当時刑務所付属病院で体験した悲惨な事実の一部を明らかにした。

それによると、7月13日に警察に撃たれ連行されたラビグリさんは、翌日に意識を取り戻した際には、自分が6人の怪我人と同じ部屋にいることに気付いた。そのうち4人はベッドの上で、自分ともう一人は床で寝かされた状態であり、床に寝かされたその人と彼女の距離が40センチぐらいだった。怪我していた6人全員が手錠や足かせでベッドに繋がれていた。警察や軍人らが24時間体制で彼らを監視し、お互いに声をかけることは一切許されていなかった。トイレに行く際にも警察や軍人らが付き添った。お互い声をかけようとしたり、許可なく動いたりするとすぐに警察や軍人らの暴力に遭ったという。

ある日、松葉杖に頼って何とかして歩いていたラビグリさんを、中国人警察官が「何故真っ直ぐ歩かないのだ?」と言って蹴った。これに対し、ラビグリさんは「これは反人道的行為と思わないのか」と問いただすと、その警察官が「何故早く死んでくれないのだ?お前らウイグル人皆死ねばいいのに」と答えた。その日に、ラビグリさんは視察に訪れた一人のウイグル人官僚に対し、中国人警察や軍人らの行為について訴えたが、恥知らずの警察や軍人らが口を揃えて「彼女は嘘をついている」と証言したため、この偽官僚が何もできなかったと言う。

ウルムチ事件後にウルムチの全ての刑務所が拘束されたウイグル人で一杯になり、一部の学校、病院、事務所なども暫定的に刑務所として使われていたこと、更には、それでも刑務所が足りなくなり、一部の拘束者が地方の刑務所へ移送されていたことが既に明らかにされていた。ラビグリさんが今回明らかにしたのは、ウルムチ事件関連で負傷した怪我人らを拘留した米泉(ウルムチ市内の地名)刑務所付属病院の一室で起きた悲劇の一部に過ぎない。

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