証言者たちが語る「7.5ウルムチ大虐殺事件」の真相(その6)

RFA 2009年10月8日
(7月5日にウルムチ・ラビアビルの前で起きた衝突を自ら目撃したウイグル人女性の証言)

記者(RFAのカナダ在住の記者グリシャン・アブドゥカデル):7月5日にラビアビル(ウルムチ市中心部にある「ラビア・カーディル貿易センター」)の前で起きた衝突を自ら目撃した一人のウイグル人女性が取材に応じて、自分が目撃した状況を話してくれた。この女性によると、武装警察が手に中国の赤い旗以外何も持っていないデモ隊を攻撃し、ウイグルの若者4人を射殺してから状況が一変したという。

ウイグル人女性:事件当日の7月5日に、私はウルムチにいました。当日、ラビアビルの周辺はいつもの様にウイグル人で賑わっていた。午後5時ごろに、私はラビアビル付近にいたところ、突然騒ぎが起きて人々が逃げ始めた。その直後に、武装警察を乗せた何台ものトラックが次々とやって来た。その他にも、腕に赤い布を巻いた保安隊とみられる数百人ものの人が現場に現れた。武装警察は勿論銃・機関銃などで完全に武装していましたし、保安隊とみられる人たちも全員が鉄棒やこん棒などほとんど似ている武器を手にしていた。暫くすると、ラビアビルの前に集まっていたデモ隊とみられる若者たちへの攻撃が始まり、ウイグルの若者4人が武装警察に撃たれて倒れた。

記者:その4人の若者が撃たれた時、あなたは自らそれを見ましたか。

ウイグル人女性:そうです、自分の目で見ました。私だけではなく、その周辺にいた大勢の人がそれを見ました。あの4人が射殺されてから集まっていた人々の怒りが爆発し、収拾がつかない事態となった。デモ隊とみられる若者たちは中国の赤い旗2枚ぐらいを揚げ ていて、その他に手に何も持っていなかった。一方で、警察や保安隊はみんな武装しており、予め作られた計画通りの作戦のように見えた。突然出動したことなら保安隊まで皆があんなに一気に武装した状態ではなかっただろう。当時、現場が人に溢れていて、デモ隊の他にも年寄り・女性・子供を含む一般のウイグル人市民も大勢いた。武装警察はそんなことを一切気にせず、ウイグルの人々に向けて爆弾も投げたのです。私は自分の目でそれを見ました。

記者:その爆弾とは涙流弾のことでしょうか。

ウイグル人女性:いいえ、違います。本物の爆弾でしたよ。凄く怖かった。爆発された現場には年寄り、女性や子供たちもいました。その周辺にいた皆が自分ことを心配し、逃げるか隠れるのに精いっぱいの状態だった。私も何とかして近くにある携帯電話販売ショップの中に隠れました。その携帯電話販売ショップには、私以外にも百人ほどの一般人が駆けつけて身を隠した。
(注:7月5日には、ウイグル人のデモ隊に対して特殊な焼夷弾が使われたことはほかにも報告されている。)

記者:この女性はまた、身を隠したその携帯電話販売ショップのガラスの中から目の当たりにした光景を次のように語った:

ウイグル人女性:我々はガラスの内側にいて、なんにもできなかった。ただ悲惨な状況を見守るだけだった。あのような状況は映画でしか見たことがなかったため、非常に怖かった。その場で武装警察の銃で、あるいは爆弾によって人々が死んだわけだから、当然ながら皆が乱れていた。子供を撃たれた親たちが当然ながら怒りをぶつけたが、警察はそれに銃で答えていた。それの繰り返しが続いた。

道はあっという間に血だらけになり、デモ隊のメンバー、年寄り・女性・子供を含む一般人合わせて多くの人が死んだ。周辺は武装警察に溢れていて、まるで自分もすぐにでも武装警察に撃たれてしまうような恐怖感に包まれた。私たちが目の当たりした現実はあまりにも恐ろしいものだった。武装警察は、現場付近を通りかかった漢人らを道のわきにいるよう命令し、ウイグル人を無差別に攻撃した。武装警察の目に入ったウイグル人が無差別に殴りつけられたり、射殺されたりしていった。

記者:この女性は更に、身を隠していた携帯電話販売ショップから離れた時の状況について次のように語った:

ウイグル人女性:私たちは結局翌朝4時ごろまでにその隠れた場所から離れることはできなかった。最終的には、朝の4時過ぎごろにある記者の道案内で周りを気にしながら皆がお互い手を繋いで歩くことにした。あの時はまだ現場周辺に遺体や血痕が多く、片づけられていない状態だったので、その恐ろしい光景も目の当たりにしました。

あの時のことを思い出すと今でも全身に衝撃がはしり、言葉を失ってしまいます。当時、歩く際に気付かず遺体や血跡を踏んでしまったり、あるいはその上を歩くこともあったが、見ていられない光景だった。倒れていた人がみんな血を流しており、まるで戦場のような雰囲気だった。

私たちはそうやって何とか無事に現場を離れることができた。しかし、不思議なのは、私たちが朝の4時過ぎに見たあの恐ろしい現場は、6時ぐらいには何もなかったようにきれいに片付けられてしまったのだ。私たちが見たあの数々の遺体はどこに持っていかれたのか、どこに捨てられたのかは誰にも分からないのです。中国軍の仕業だと思っています。

http://www.rfa.org/uyghur/xewerler/tepsili_xewer/bir-xanimning-korgenliri-10082009204834.html

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