空港で父は「行け」と叫んだ ウイグル族学者と娘、10年前の約束

空港で父は「行け」と叫んだ ウイグル族学者と娘、10年前の約束
「アメリカには行きたくない。お父さんと一緒にいたい」。あの日、泣きじゃくる18歳の娘の肩を父は押した。「行け。行くんだ」。それは娘の未来を案じる父の愛情だったのだろう。中国・新疆ウイグル自治区の人権問題をめぐり、ノーベル平和賞の候補に毎年名前が挙がるウイグル族の経済学者、イリハム・トフティさん(53)の娘、ジュハル・イリハムさん(28)=米国在住=は、北京の空港で父と生き別れた。

あれから10年。新疆ではウイグル族への抑圧が続く。「国家分裂罪」で無期懲役の判決を受けた父の消息は途絶えている。ジュハルさんが取材に応じた。

出国審査を通過、その時に

2013年2月2日、北京の首都国際空港。父は米中西部イリノイ州のインディアナ大に1年間の客員研究員に招かれ、ジュハルさんも2週間の予定で渡米する予定だった。飛行機の出発は昼前。当局者の尾行を避けるために未明に北京の自宅を出た。荷物を預け、搭乗券も手にした。全てが順調だった。出国審査のカウンターで、審査官はジュハルさんのパスポートに出国スタンプを押した。

だが、ホッとして“国境”ラインを越えた時。振り返ると別のレーンに並んでいた父が止められているのが見えた。「ビザ(査証)も搭乗券も、全ての法的な書類はそろっている。なぜ行けないのか」。そう問う父の前で、女性の審査官は手元の端末画面を何度もチェックし、どこかに電話をかけた。数分後、黒い制服姿の当局者4、5人が現れ、父と一緒についてくるよう命じた。

連れて行かれたのは、プリンターと2脚の腰掛けがある狭い部屋。扉の前では1人の当局者が見張っていた。搭乗開始まで30分に迫った時、父を止めた女性の審査官が現れた。手にしていたのはジュハルさんのパスポートだけだった。「お父さんは行けない。あなたは行きたいなら行けばいい」。なぜ父が出国できないのかの説明はなかった。父は振り返ると「行きたいか?」と聞いた。何を言っているのか理解できなかった。

そもそも渡米は父に「一緒に来てほしい。アメリカがどんなところか見てみるのもいい」と言われ、大学の休みを利用してちょっと旅をするだけのつもりだった。知り合いはいない。英語もほとんど話せない。「お父さんの身がどうなるのか分からないのに、どうして置いて行けるの?」

父は肩を押し叫んだ 「行け。行くんだ」

北京の中央民族大学で教壇に立っていた父は、ウイグル族の境遇をウェブサイトで発信しながら、穏健派の立場から漢族とウイグル族の相互理解を訴えてきた。だが、中国当局は言動を問題視し、何度も軟禁状態に置かれた。家族がみな北京郊外のホテルに閉じ込められたこともある。だから、父はこうなるかもしれないと考えていたのかもしれない。

「これは最後のチャンスだろう。あなたにはずっとアメリカに行ってほしいと思っていたんだ」。父はそう諭した。「嫌だ」。父に似て頑固者のジュハルさんはそれでも拒んだ。すると、父は狭い部屋で周囲に立つ当局者らを一人一人指さしながら、ジュハルさんに向かってこう言った。

「周りを見ろ。…