7.5ウルムチ大虐殺事件後に失踪させられた人々(その18)

7.5ウルムチ大虐殺事件後に失踪させられた人々(その18)

RFA 2012.07.11 | 翻訳・掲載:2012.07.21

家族らがRFAに明らかにした情報によると、2009年7月5日に起きたウルムチ事件後に失踪してしまったウイグル人の一人は、ホータン地区カラカシ県ジャハンバグ村出身のトゥデメメット・トゥルスンニヤズ氏(写真)である。彼は、失踪当時は24歳だった。ウルムチにやってきて肉屋をやり始めてから6ヶ月間経ったばかりの彼は、2009年7月5日に消息を絶ったまま、未だに生死を含む一切の消息が分かったいない。

彼は、ウルムチ事件の前日に母親に電話し、ホータンの実家に残していた奥さんをウルムチに向かわせてくれるようお願いしていた。母親が彼の奥さんをウルムチに向かわせるための準備を進めている最中に、彼から全く連絡が来なくなった。田舎に暮らすこの母親がウルムチで事件があったことを知ったのは7月5日ウルムチ事件から15日間経った後のことだった。ウルムチで事件があったことを知ってから、7月4日以降突然連絡が来なくなった息子のことを心配し、悪い予感で頭いっぱいだったという。

それから3カ月後に、ジャハンバグ村には他所から3人の警察がやってきて、村の人々にトゥデメメット・シャンイェンと言う人を知らないかと聞き取りを行った。村の人々は、同村にはそのような人がいないと回答した。実は、「シャンイェン」はウルムチで同僚たちによって彼に付けられたあだなであり、家族もそのあだなを知らなかったため、当時は息子が恐らくウルムチ事件に巻き込まれて拘束され何処かの警察署で取り調べを受けているのではないかと推測するに留まっていた。

家族らはその後、息子が訳が分からないことを口実に実刑判決を受けたり、最悪の場合処刑されたりするような悲惨な運命に遭ってしまうのではないかとの心配はあったものの、まさか生死も分からないまま消息を絶ってしまう、つまり、中国政府によって秘密裏に消されてしまうとは想像もしていなかったと言う。

筵打ちで生計を立てていた両親は、消えた息子の消息を捜すために、生涯における唯一の財産であった農地を売却し、ウルムチに行って関係機関らに訴えた。ウルムチでは、「トゥデメメット・トゥルスンニヤズ」と言う名前も「トゥデメメット・シャンイェン」と言う名前もウルムチ事件の拘束者リストに載っていないと言われて相手されなかった。彼の父親が北京に行くために出発すると、地元のカラカシ県の警察らが追いかけてきて、ウルムチの手前で彼を拘束し、カラカシ県に強制連行した。そして、三日間拘留し、政治学習をさせてから釈放した。

彼の母親によると、息子が失踪してしまったのは結婚して間もない時のことであった。母親は、失踪した息子の奥さんについて「突然襲いかかったこの悲劇のせいで彼女があまりにも酷い思いをした。結婚してからまだ子供も作っていなかった。ここ3年間、消えた夫を待ち続け、私たちと一緒に暮らしています。彼女は、思いやりのある優しい子で、親として非常に申し訳なく思っています・・・」と語った。           この一家は、ウルムチ及び北京へ行くために経済面でほぼ破たんしており、消えた息子を捜し続けるための経済力がなくなり、精神面でも限界にきていると言う。

http://www.rfa.org/uyghur/xewerler/tepsili_xewer/ghayib-uyghur-07112012162534.html

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